明日は七夕です。
お空の世界の織姫様と彦星様が、あんまり仲良しし過ぎて、
お仕事サボってまで仲良ししてたのを天の一番偉い神様に怒らりて。
もう逢っちゃいけませんて、
天の川のあっちとこっちに引き離されちゃって。
それがあんまり悲しくて、二人があんまりしょげちゃったので、
これはちょっと可哀想かなって思った神様は、
1年に一晩だけ、天の川に鳥さんの橋を渡してあげるから、
それを渡って逢いなさいって許してくれました。
でもでも雨が降ると鳥さんは橋を架けてくれません。
◇ ◇ ◇
「そいだから、雨が降りませんようにって、
てるてる坊主も提げるといいって、ママがゆってましたvv」
それでなのか、やたら大きな眸をマジックで描いたてるてる坊主を手にし、にゃは〜vvと無邪気に笑うのは、小早川さんチの瀬那くんという男の子。もう小学生の筈なんだけれど、小柄な体つきや黒々と潤む大きな瞳の愛らしさは、学齢前と言っても通るほどの幼さで。濃緑のタンクトップに重ね着た、開襟タイプの白い木綿のオーバーシャツの短いお袖からは、優しい肉づきの可愛らしい腕が覗いているし。濃紺の半ズボンから伸びるあんよの柔らかそうな白もまた、そんなして人目にさらしたらいけないと、大きなお世話ながらもついつい案じてしまうほど。
「???」
「…セナくん自身はともかく、保護者のお前には判っててもらわんと困るんだが。」
これだから目が離せないんだよねと、もはや彼らのお守り役が天職と化しつつある桜庭さんが“はぁあ…”と肩を落としたのも、まま いつものことだったりし。
そ〜れはともかく。
最初にセナくんがお話ししてくれたように、明日の晩は七夕なので、今日はセナくんチに笹飾りを立てに来たお兄さんたちだったりし。小早川さんチへ伺う前に、ホームセンターでいい枝振りのを見繕ってのご訪問。最初は“ウチに生えている”と言い出した進さんだったが、あれは竹で、それも随分と太い真竹だから、短冊を吊るす小枝がないだろがと却下されたとか。傍から見るときっと漫談のようだったことだろが、何と言ってもとんでもないイケメン同士、贅沢な漫談があったもんである。
…それもともかく。
「こういうものも“一夜飾り”は縁起が悪いものなのだろか?」
「う〜ん、どうなんだろか。」
突拍子もないことを訊くのは今に始まったことじゃあない進さんだったが、今こんなことを訊いた彼だったのは、明日が当日の七夕飾り、数日前から結構あちこちで見受けていたからで。この笹を買ったホームセンターでも、7月に入る前から“笹あります”の宣伝を兼ねるよに、店先に出されてなかったか? 大柄なお兄さんたちがそんな言いようを交わしていたもんだから、
「え?え? 今日飾るのでは間に合わないですか?」
とんだ時差攻撃でセナくんまでが不安そうに訊いて来たりし、
「いやいや、今日だったら“一夜飾り”にはならないし、
第一 それって、お正月のしめ飾りや鏡餅っていうお飾りへの言い回しだし。」
あああ、昔はこっちが訊いてばっかだったもんだけどと、進さんの…関数や化学式といった学業に関する知識の深さと広さと即妙さが、ぜひとも雑学へも応用分野を広げてほしいと願ってやまない桜庭さん。短冊へ書く願い事の文言は、もはや決まったようなもんですね。(笑)
“…でもまあ、こういう世話焼きは楽しいから。”
アメフトだって好きでやってることなんだろし、そっちは真剣真摯に立ち向かってることなんだから、必死で厳しいお顔になるのもしょうがない。でもだけど、いつもいつも張り詰めてる彼が、この小さな坊やと知り合ってからは、あのね? こんな顔も出来たんだと、びっくりさせられてばかりいる。ひょんなことから知り合ったセナくんは、可愛らしくて、稚(いとけな)くって、幼く無邪気で儚げで。笑顔も手も足も肩も背中も、そりゃあもうもう小さく可憐で。なので、触れること一つ取っても力加減が判らないらしい進さんだったりし。他の部分でいやってほど味あわされた劣等感を、まさかに相殺させてるつもりはないけれど。
な〜んだ、って。
なんだ、こいつにも こういうところがあるんじゃないかって。対処が判らなくって、でも。なら もういいやって捨て置けなくてのそれで、どうしていいやらと困ってしまうよなことが進にもあるんだって。それを目の当たりにしたようで、そして…。
それが、どうしてだかホッとした。
だから、何だか放っておけない二人なんだよねって、そう言ったら、
『そこまでお人よしだったとはな』
なんて、知り合いの金髪の小悪魔くんから呆れられたこともあったけど。そのヨウイチ坊やだって、あのセナくんには とんでもなくの手を掛けてやってるクセしてね。
“そういう可愛くないところが可愛いったらvv”
うくくと小さく微笑ったら、
「?」
当の進さんがまたまた怪訝そうなお顔をし、
「ああ、ごめんごめん。」
そうでした、笹を立ててる最中でした。セナくんのお家の庭先の、リビングから見える花壇の端っこ。いわゆる“軒端”だと背丈が高すぎてつっかえるし、広い広い物干しのそばってのは風情がないしで、そこに決め、少しだけ掘ってから倒れない程度にどんと突き刺して…、
「…進、責任取って抜いてあげなよ?」
「? ああ。」
桜庭さんからの忠告へ、ご本人はやっぱり“何の話だ”と怪訝そうになるばかりで、そこに含まれていた真意まではさっっぱりと判ってないらしかったけれど。こんなまで力込めて突き刺しちゃあ、ご両親が二人掛かりで頑張っても抜けないだろうと、今から案じていたところ、
「にぃぎゃあぁぁあぁぁっっ!!」
同じお庭のどこかから、何とも素っ頓狂な声がした。音は“な行”だったけど、決して猫の悲鳴じゃなくて。当家のペットのタマちゃんも、何だ何だと濡れ縁から起き上がってのそっちを見ており。
「…っ!」
根元を固めてた笹から手を離した進さんが、後をも見ずにと駆け出したのから推察する…までもなく。色紙の輪っかをつないだ鎖とか、互い違いに切れ目を入れて広げた網、細く切った色紙を、グラデーションも鮮やかに、斜めに斜めにつないで作った吹き流し。他にも色々と飾り物やら短冊やらをこさえて待ってたセナくんが、いよいよ吊るせるとあってのはしゃいでたはずが、何へのそれだか驚いて…恐らくは“怖い”と感じて上げた悲鳴であったらしくって。
「セナ。」
「進さん…。」
強ばらせた小さな手や肩が、目に見えてのがたがたと震えているし、少しでも離れたくてか飛び出して来た方を向こうとしないまま、母屋のほうへ逃げよう逃げようとするのをやめない。力でも体格でも敵うはずがない進を押しのけてでもと言わんばかりに、ぎゅうぎゅうと押すようにしてまだ逃げたがっている様子は、差し詰め、抱えられたご主人様の腕からさえ逃げ出そうとしている、パニック状態の仔猫の姿を思わせて。
「セナ?」
「いやいや。いやーの、こあいの。あっち行くのっ。」
此処はいやいやと むずがるばかりのセナくんを、どうしたものかとその懐ろに見下ろしていた進さんだったが、
「進…。」
一旦こっちまで引き取ってやったら…と言いかけた桜庭さんが見ているのもお構いなしで。その脇へと手を入れ、頭上まで高々と、小さなセナくんをひょ〜いっと抱え上げてやっている。
「ふやっ!」
急な浮遊感に、一体 何が起きたやらと。宙で身を丸めたまんま、全身が“一旦停止”状態になった小さな坊やへと、
「よし、」
満足そうに大きく頷いた誰かさんだったものの、その後頭部へとすかさずのツッコミが入ったのは言うまでもなく。
「よし、じゃないって。」
こっちの都合で大人しくさせてるだけだろ、それ。いいか? 高い高い〜ってあやし方は、ホントは赤ちゃんには怖くて怖くてしょうがないことなんだって説だってあるんだぞ? 僕らが感じる高さ以上に、セナくんにはもっと高いところへ据えられたようなもの、とっても怖いことかも知れんのにだな…。
「桜庭、お前の言うとおりなのなら早く降ろしてやりたいのだが。」
「…降ろしてやんな。」
終しまいにはやさぐれちゃうからなと、こめかみを押さえた桜庭さんだが、まま ここまでならいつものこと。なかなか修整が利かない鋼の脳みその進化を待つより、柔軟さで勝るこっちが合わせてやった方が早いとばかり。それでも思わずのこと、何度か深呼吸しちゃってからのさて。
「…で。セナくん、何か怖いものがいたのかな?」
こちらのお宅のお庭も、お母さんが手入れしてらっしゃる花壇や、柵沿いの茂みにはクチナシやジンチョウゲが植えてあったりするので…何とはなくの想像はつく。昨年の盛夏にも、途轍もない大きさのカマキリが出て、やっぱり“にゃ〜〜っ!”と悲鳴を上げたセナくんだったこと、忘れたのかこの仁王様はよと、後になって訊いたところが、
『カマキリが出るにはまだ早いから。』
だから違うと判ってたとばかり、端的なお言いようをして下さったそうだけれど。降ろしてもらったそのまんま、この蒸し暑さも何のその、進さんの懐ろあたりへ ぎゅむとしがみついてた小さな坊や。桜庭さんに訊かれて、そろぉっとお顔を上げると、むにぃと口元歪めての情けないお顔になったまま、小さな肩の向こうを振り返り、その視線で示して見せる。
「あんね? お母さんのカラーの鉢にね、大っきいのがいたの。」
大っきいのという描写からして、ははぁんと気づいた桜庭さんへ、
「…進?」
自分の懐ろからそぉっとその手を剥がさせた、小さなセナくんの身を預け直したところは、さながら…悪党に立ち向かうため、ヒロインを親友に預けてくヒーローのごとし。表情にさしたる変化はなかったものの、凛と引き締まったお顔には決意の意志が敢然と滲み出ており、
「桜庭。」
「ああ。」
「からーとは何のことだ。襟か?色みか?」
「…水芭蕉みたいな形をした花が咲く、茎の長いののことだよ。」
怒っちゃいかんし笑ってもいけない。彼はいたって真面目に訊いているのだ。そうかそうかと思い当たる節でもあったのか、頷いて見せてから、セナくんが飛び出して来たほうへと向かってって…しばらくして。
「これか?」
「みゃあぁぁっっ!!」
「判ったから、そこで止まれっ。」
これで合っているのか確かめたくてか、火鉢に出来そうなくらいはある大ぶりの鉢を抱えて来た進へ。セナくんはそれを見て怖がって逃げたんだろがと、なのにわざわざ持って来てどうするかと。本日の我慢の臨界を早くも突破した末のこと、頭痛がして来そうになりかかった桜庭だったが、
“あ…そかそか。”
そのくらいは判らない進じゃあなかろと、思い直して…苦笑が洩れる。幼子の弱々しい力で、それでも精一杯に…ぎゅむとしがみつくセナくんを見下ろし、
「いいかい? セナくんには怖いことかもだけれど、ちょっとだけ見てやって。」
「ふや〜〜〜?」
だってこあいよ、気持ち悪いよぉと、見る見る大きな眸を潤ませるおチビさんへ、
「だからあのね? ちゃんと見ておかないと、却って後が怖いから。」
そうと言って桜庭さんが指差さしたのへと釣られてのこと、お顔を上げてそっちを見やったセナくんの目には。鉢を抱えてる進さんの手元、見たくないけど探してしまう、こんなに離れてても姿が大きく見える、うにうにの芋虫さんがいるのがすぐに判って。
「こあ…。」
「いいかい? セナくん。」
やだやだという悲鳴を上げかけたところへ、桜庭さんがそおっと囁いたのが、
「怖くてもちゃんと見ておかないと、
ホントにセナくんが見て怖かったのをどっかやってくれたのかなって、
後で心配にならないか?」
「ふや?」
え?と。どゆことですかと、のけ反るよにしてお顔を上げると、桜庭さんはにぃっこり微笑って下さって、
「進はセナくんが嫌がることはしないよね?
でも、進はああいう虫を気持ちが悪いとか怖いとは思わない。
それもセナくんは知ってるよね?」
「はい…。」
進さんのお家もお庭には木や草がいっぱいあって、毛虫やカナブンや蜂さんがどっかにいつもいる。進さんは、たまきさんとかセナが怖いっていうと、ひょいって摘まんで捕まえてくれて。でも殺してしまうのは可哀想だからって、一番遠いところにある虫さんの木っていうのへ連れてっちゃうの。
「セナくんが怖いって言ったのこれかなって、
一緒にいなかった進には判らないからそれを確かめさせてやってね?
でないと、これじゃないのかなって、他のを退治しちゃうかも知れないでしょう?」
「はい。」
咬んで含めるような説明へ、ようやっと判りましたと頷いて。も一度 進さんの方を向いたセナくん。お母さんが丹精したカラーを、フキみたいに茎だけにしちゃった大きなイモムシさんを、それに間違いありませんと“うんうん”と頷いて見せて差し上げれば、
「桜庭。」
「ああ。」
実は2匹もいました、茶色と緑の芋虫さんたちを。七夕飾りを提げる紐も買って来たビニールの袋へとほうり込み、そのまま門扉の方へさっさかと出て行った進さんは、お外に出ると一目散というスピードで、泥門川の河原の向こう岸までという遠出をして草むらの中へと放して来て下さって。
『こっちへ戻るより、手近の草を食べてサナギになる方が早い。』
だからもう安心なさいねと、戻るとすぐに小さなセナくんを宥めてくれたの。そんな進さんへ、ふくふくの頬を真っ赤にしたセナくんが訊いたのが、
―― あのね、あのね? 進さんは、虫さんが嫌いなセナはイヤ?
可愛いわんこやにゃんこは好きだけど、虫さんは嫌い。そんな我儘なセナは悪い子? かっくりこと小首を傾げて訊く小さな坊やへ、う〜んと何かしら考え込んでから、
「誰にだって苦手はある。」
「本当?」
「ああ。」
セナは甘い洋菓子が好きだが、俺は苦手だ。
はいvv
セナは揚げたエビの尻尾を食べられるが、俺は食べられない。
うんvv
それと同じで、好きなものとか苦手なものとかいうのは、人それぞれだから。
じゃあ、虫さんのこと好きにならなくてもいいの?
ああ。
進さん、セナのこと悪い子めって嫌いにならない?
ああ、勿論だ。
「ただし。」
「ただし?」
何だろか何でしょねと。セナくんのみならず、さほど離れないままで同座していた桜庭さんまでが、何を言い出すのかなと固唾を呑んで待っておれば。
「にゃあはいかん、にゃあは。
セナはタマではないのだ、キャアとか せめてヒャアに直しなさい。」
「うにゃあ〜〜〜ん。///////////」
…お惚気やいちゃいちゃが始まるのなら、僕はもう帰っていいでしょうかと。突っ込むのにさえ疲れたらしい誰かさんが、心の中で呟いたのは言うまでもなく。これからこそが本番の、夏が来るその前からこの調子のお二人さん。太陽に妬かれないよう、熱中症にはくれぐれもお気をつけて下さいましね?と。青々とした明日の主役、短冊や吹き流しを下げられた笹の葉が、風にさやさやそよいでは くすすくすすと微笑ってました。
〜Fine〜 08.7.06.
*カラーにでっかい芋虫がたかってフキにされてたのも、
通院中のお医者で、
痛かったのへ うっかり“にゃあ!”と言いかけて凍ったことも実話です。
いい年したおばさんが口走っていいフレーズじゃありませんで、
そっちを意識してこらえるあまり、
“ありゃりゃ、まだ関節が堅いままですね”と、
お医者様の首を傾げさせる結果になっちゃいました。(う〜ん)
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